夜鳥通信

会社員、絵描き、占い師、模型師のブログ

千人針?学徒動員?

子供が作ったマスクを寄付。

どこかの学校は生徒が作った防護服を寄付。

どっかの飛行機会社の客室乗務員が防護服やマスクをお裁縫。

ほんとに戦時中の千人針や学徒動員

竹やり訓練を想起する。

政府が予算出して作ればいいんでは?

伊藤忠やら三井やら商社形、流通系の縫製会社は山ほどあるでしょうに。

せめて樫山やらサンヨーやら

果はいろんなデザイナーズ、

マンション、ガレージブランドがある訳で。

衛生用品だから作れない?

マスクも防護服も特殊な素材、製法で請負えないものなら、

それこそ子どもが作ったものは使えるの?

寄付や奉仕の話題、美談つくりですか?

布マスクをたくさん作って寄付した中学生がいたけど、あれは効果あったの?

後でアベノマスクで布マスクには効果無しとも言われてて。持ち上げておきながら後で悲しませてないか。

そもそも政府がマスクの供給体制整備してれば、作ることもなかった訳で。

一人あたりGDPも韓やイタリアにも抜かれれ。

現状の位置付けも円高差益での維持でしかない。

実は様々なことが実行できない、

そんな実力しかない国力なのが実情か?

だから、PCRの検査体制も整えられないのか?

一昨日の緊急自体宣言の目詰まりとは資金繰り?

それでも対外的に資金を提供してるのは何故?

まだ国外には援助金出せるとこ見せて、

国の実情、為政者の判断のチグハグさを

国民には誤魔化したいのか。

チャウシェスク政権末期のルーマニアにそっくりに感じる。


ナウシカ考 風の谷の黙示録

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赤坂憲雄 岩波書店

出た頃から立読みで拾い読みしてた。

先日ユーチューブで

ダースレイダー宮台真司の100分で宮台なるコンテンツを視聴してたら触れられていて。やはりきちんと読みたいなと。

風の谷のナウシカ」は連載開始時期に

雑誌で(アニメージュだったかな)読んでた。

基本的にアニメは肌に合わないので

連載の漫画ページだけ読んでた。

連載が中断して、もう描かないのかなと思ってわすれてたら、再開して、いつの間にやら完結篇まで出たので、読んだ。

その頃はどんな印象を持ったか思い出せない。

4、5年前にコンビニでたまたま立ち読みして、面白くなり全巻買い込んだ。

ナウシカが自身の存在意義を知り、

しかしながら、生きる限りは生きるのだ。

生まれ出ずるものは、生まれ出ずる限りに

その生を生きるのだとしたのに

けっこうショックを受けた。

こんな話だったっけと思いながら。

いま、こんな書き込みしながら思い出したが、

百億の昼と千億の夜」もこんな話な気もする。

日本に生きる人々の現状もそうであり、

身障者とか発達障害者とかいろいろなカタワとかもそうであり、生きる限りは生きるのだ。生きて良いのだし、生きる権利はあるのだなと改めて思う。自殺しない限りは。

しかし、自殺したくなったらしていいとは思うが。自らの思いではなく、他者からの要因で自殺するのは無しでいたが良いと思う。経済的とかいじめとか自身が自身のみの意志で死にたい以外は。

振り返るに自身が他者にしてきた仕打ち、その命に対してとろうとした行為もこの様な心持ちを忘れていたなと。自分は体調やその治療において自身を見失っていたのだなと言い訳がましくも思いいたる。

大島弓子

「どうしたって死ぬまでは生きなければならぬ」という言葉も思い出すが、これは少し趣旨が違うが何となく思い出した。