夜鳥通信

会社員、絵描き、占い師、模型師のブログ

独ソ戦

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大木毅 岩波新書


第二次世界大戦の本チャン、横綱

安冨あゆみ氏が近代日本士講義で曰く

独ソ戦に比べたら太平洋戦争なんて

オマケのオマケみたいなもん」

読んでみてその規模、やったことを知り納得。

ドイツ軍と言えば

タミヤの模型と松本零士の漫画の影響か

制服と装備のデザインか、

哀愁と判官贔屓で虚像が流布していた訳で。

ナチスヒトラーに対して

ドイツ国防軍は立場上従っただけで、

作戦立案、遂行の本意は違ったとか。

しかしながら、そんなことは嘘っぱちで

国防軍ヒトラーナチスとやったことはおんなじだし、それも従ってたわけでなく納得ずくの共犯。その拡大に邁進。戦争に負けた後、ヒトラーナチススケープゴートにして戦時中にやったことを棚にあげ頰被りしてるだけだった、ドイツ国民も。

独ソ戦の目的はヒトラー第三帝国建立の考えに基づくもんだった。その実現のためにはドイツ国民からの支持が必要であり。そのためにドイツ人の生活を維持する必要があり。その経済、生活基盤、国家経営のために、東欧からソ連までの土地、農地、収穫物が必要だから、それを賄うためには人的資源も含めた土地、そこからの収奪が必要。で、その正当化のためにゲルマン民族は優秀でスラブ民族は劣等民族だから使える間は使い潰して滅亡したって良いもんだ、だから攻め滅ぼして絶滅させるのもOKと。いう定義を作り出し、その考えを国民に流布して納得させた。優生思想か。また、ドイツ国民も自身の生活向上ができるためその考えに賛同。

第二次大戦で一番死者と行方不明者出したのはソ連と聞いてたが、納得。それはそうだ絶滅させるの前提だからね。

となって「炎628」な村がゴロゴロ。

日本の満州進出をもっと先鋭化、極端化させた感をいだく。日本陸軍南京大虐殺やら731とかやってるが規模の違いがすごい。

日本軍の南方戦線の現地人収奪に近いか。

ベトナムアメリカや韓国軍より数では上。


対するソ連は序盤は戦前のスターリンの粛正が過ぎて指揮官が不足。下手な作戦と運用力不足で大負け。加えて被害も気にせず、民間人も突っ込んでの大作戦で防戦、反抗で死人続出、被害の山。「戦争は兵隊の顔をしていない」岩波文庫とか読むと女性も最前線にがんがん投入してる。

しかしながら、実はドイツ軍の攻め方は見通しの甘い、計画性の無い行き当たりばったりの杜撰な作戦遂行だったのと、

反してソ連側の作戦将校の立案力の優秀さが奏功し出しドイツを追い返し、追い詰めていく。この時確立した作戦遂行術でドイツ滅亡後に満州侵略を効率的に実行している。

端的に言えば、実はドイツ軍はナチスヒトラー国防軍の将校もアホだったとなる。

日本陸軍と海軍の確執や

ミッドウェー海戦日本海軍やガダルカナル日本陸軍同様の驕り、侮りを持っていた。

一方ソ連スターリンがけっこうアホみたいなことしてるが、大局的には緻密な戦術を構築し

それを実行する戦力を適宜運用。(とんでもなく死んでるが)


この本では無いが随分前に何かで読んだ。

ドイツの技術力はイメージほど高くない、

陸戦兵器はソ連が上で、そのため勝てなかった、物量で負けたのではないと。

独ソの戦車はイメージほどドイツが優秀であったわけでなく、ソ連が上でかなわなかったとあり。

その例としてドイツはエンジン、ディーゼルエンジンのアルミブロックの開発製造ができなかった。で、対重量比での馬力がかせげなかった。

ドイツは技術では上だったが、物量と共産主義による人員動員力に負けたのだとかつて思ってたが、それは無いなと改めて確信した内容でした。負けるべくして負けた。いや、もうちょっとまともに考えて攻めればモスクワは落とせたかなと。でもモスクワ落とすよりは、南部ロシアの油田と穀倉地帯をとることに専念すればよかっただろうに。ヒトラーの当初の目標設定は正しかったがだんだんずれてきたのだな。それに国防軍の思惑もかぶさり。

独ソ戦の勝敗要因、ドイツは技術は優ったが、ソ連の物量に負けたという論は、戦後の冷戦期の東西対立で、やはり質量ともに勝る東側に対して、西側の兵士の士気をあげる伝説として利用されてるとのこと。

で、ドイツが無茶苦茶やったもんだから、ソ連も許すはずもなく、ドイツの捕虜も処刑と奴隷化、戦時国際法なんて知らんがなって扱いになるのも宜なるかな。ドイツの勢力圏内に入ったら蛮行の限り、ベルリンでも破壊と蹂躙を尽くすことになる。

サムペキンパーの映画で「戦争のはらわた」というのがある。主人公のドイツ軍軍曹シュタイナーが、クリミアからの退却戦の途中で「ソ連は俺たちを許すかなあ」と漏らすのはなかなかな台詞に感じる。

まあ、でも一番印象深いのは

ヒトラーナチスやドイツ軍人が戦争、具体的に人殺しはやってたのではあるが、それはドイツ国民も納得ずくであり、自分達の生活維持のために喜んでその片棒を担いで応援、参加してたことだ。

アゴタクリストフの「悪童日記」で主人公達が焼き殺す女性給仕も、当たり前にユダヤ人を差別する態度に対する主人公達の気持ちの表れだった。

戦後のドイツと日本の加害者意識を比較され、ドイツは徹底、日本は適当と言われるが。

ドイツはソ連に対して殲滅戦争を仕掛けて逆に「ドイツ零年」て映画ができるくらい徹底的にぶっ壊され、人も蹂躙された。それは全国民あげて納得してソ連ユダヤ人やらを殺しまくった結果の裏返し。

対して日本は東京大空襲、原爆二発は食らったが、

戦時中の本土の国民は鬼畜米英は唱えても自身は相手国に対してドイツほどには向き合っていない。陸地続きのドイツと違い島国である日本は直接的に民間人に戦争、戦闘に対する直面する場面はない。沖縄県ぐらいだ。

なんでドイツほどには交戦国や戦場にしたアジア諸国にたいしてやったことに対する当事者意識が少ない、ないしは無いから、自分達の位置付けも曖昧不明、だから向き合う意識も出てこない。戦争は兵隊さんがやってたもんであり、自分達はよーわからん。爆撃で殺されたけどとなってるのかと思えた。

とは言うものの、西ドイツも1950年代ぐらいまでは、ナチスドイツについては無かったことにしてた訳で。

この日本に対する推論は裏付けの無い印象でしか無い。


今日見た「血と砂」で

「戦争は汚いもの」との台詞があった。

その通りとしか言えない本だった。