夜鳥通信

会社員、絵描き、占い師、模型師のブログ

来る

新宿ピカデリー

大友克洋の「童夢」を思い出した。

中島(名前失念)の絵作りは彼とわかるなあ。

デビッドフィンチャーとか思い出す。

ステロタイプなストーリーやモチーフにも思えたけど、だから想起する余裕もあるのかなあ。

贖罪と再生と再構築の話になるのか。

よくわからん。


入国管理法改定

中身は決まってないが改定してから決める


完全におかしいだろう。

日本や日本の政治体制は狂っている。

民主主義って言葉は日本から無くなるんでは?議会とかも。

1984」のニュースピークみたいなことになるんじゃないの?

縄文にハマる 人々

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ユジク阿佐ヶ谷

結局あの紋様の意味や意図は判明しないが。

縄文時代からは絵画とかの表現物、

具象物がほとんど出てきていない。

あんだけ妙な形の土器はたくさんあるのに。

具象的なもの、生き物は描いてはいけない、表現してはいけなかった、具象は禁忌だったのでは。

土器の装飾にしか表現の場は無く、具象的な表現は禁止。となって表現欲求や内容を抽象化して

(見立てと言っててが)表現せざるを得ないとなって、なんとも名状し難い形になったのではとの説に興味を覚えた。

まあ、どんな意図かは抜きにしていいデザインだよね。

火炎型土器や遮光器土偶もよいし。

女性型のも良いな。

縄文式のデザインを艦船に載せたのが

アルペジオだったのかなとも思えた。

縄文が植物の芽吹きや繁茂を表すのかもって説は印象深い。

太陽の塔

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ユジク阿佐ヶ谷

岡本太郎の芸術に対する

考えにはとても共感する。

最後は人間に行き着いた所など。

自分の中でもずーっと抱えてきたことだ。

1970年の万博の頃に考えいたことや言動は

東日本大震災福島第一原発事故を経た今を見越していたのではと思えるほどだ。

第二次大戦での広島、長崎、そして福竜丸の水爆被曝を経て、原子力の利用がなされ始めた時、科学万能に対する期待感の矛盾や綻びを見ていたのではないか。

広島、福島を経ても人間は変わらない。

縄文を始めとしたプリミティブな人間や生物の持つ力こそを信じた岡本太郎には心より敬意と共感をおぼえる。

太郎の赤。生命の赤。鮮血の赤。

見ながらいろいろ創るもの、描くもののアイデアが浮かんだ。

諸星大二郎岡本太郎の影響あるんじゃなあかなという気もした。

もう一回ぐらい見たいかな。