最近の様子見てると
もう日本なんて相手にしてないんじゃないのかと思えてしまう。
アホ晋三にアホー太郎だもんなあ。
最近の様子見てると
もう日本なんて相手にしてないんじゃないのかと思えてしまう。
アホ晋三にアホー太郎だもんなあ。
水道民営化
気になる単語
駅前の樹に星がかけられる工事を眺めながら。
冬になるんだなあ。
ユジク阿佐ヶ谷
結局あの紋様の意味や意図は判明しないが。
縄文時代からは絵画とかの表現物、
具象物がほとんど出てきていない。
あんだけ妙な形の土器はたくさんあるのに。
具象的なもの、生き物は描いてはいけない、表現してはいけなかった、具象は禁忌だったのでは。
土器の装飾にしか表現の場は無く、具象的な表現は禁止。となって表現欲求や内容を抽象化して
(見立てと言っててが)表現せざるを得ないとなって、なんとも名状し難い形になったのではとの説に興味を覚えた。
まあ、どんな意図かは抜きにしていいデザインだよね。
火炎型土器や遮光器土偶もよいし。
女性型のも良いな。
縄文式のデザインを艦船に載せたのが
アルペジオだったのかなとも思えた。
縄文が植物の芽吹きや繁茂を表すのかもって説は印象深い。
ユジク阿佐ヶ谷
岡本太郎の芸術に対する
考えにはとても共感する。
最後は人間に行き着いた所など。
自分の中でもずーっと抱えてきたことだ。
1970年の万博の頃に考えいたことや言動は
東日本大震災、福島第一原発事故を経た今を見越していたのではと思えるほどだ。
第二次大戦での広島、長崎、そして福竜丸の水爆被曝を経て、原子力の利用がなされ始めた時、科学万能に対する期待感の矛盾や綻びを見ていたのではないか。
広島、福島を経ても人間は変わらない。
縄文を始めとしたプリミティブな人間や生物の持つ力こそを信じた岡本太郎には心より敬意と共感をおぼえる。
太郎の赤。生命の赤。鮮血の赤。
見ながらいろいろ創るもの、描くもののアイデアが浮かんだ。
諸星大二郎も岡本太郎の影響あるんじゃなあかなという気もした。
もう一回ぐらい見たいかな。