父の命日
昨年三周忌だったが、
コロナで集まりは取りやめた。
今年も実家には向かわず。
東京より西方へ向かい合掌。
父の命日
昨年三周忌だったが、
コロナで集まりは取りやめた。
今年も実家には向かわず。
東京より西方へ向かい合掌。
2回目。
昨日、割引きデイで
「ノマドランド」を見ようかと思って
新宿東宝へ行ったら満席で入れず。
他になんか間に合うのやってるかなと探したら。
バルト9でなら間に合うので移動して見た。
前回は後半は尿意が気になりながして見たので、今回はコーヒーを控えて入った。
が、席に着いたら妙に眠くなり
冒頭のパリのシーンは何とかとびとびに
見てたが果たして眠ってしまった。
頭の30分ぐらい眠っていた。
なんとか目が覚めてからは
尿意は覚えず最後まで見通した。
前回見てからYouTubeの解説動画を見て
いたので、
画像や台詞やいろいろ確認しながら見ていた。
後半の海岸のアスカの描写を確認したかった。確かに他とはタッチ(描き方)が違っていた。
人間ドラマとしてのストーリーについては
まあよくある話だなと思う。
やはり、自分はその点ではこのアニメにはあんまり思い入れはないんだなと思った。
SFとして、その謎解きは気になってた。
ご都合主義的にも思うのだが、こういう設定なんだなとして見れば納得。
しかしながら、アニメ本編だけ見てたらよーわからんなと終わる気がする、というか、それで良いのかとなる気がする。
述べられていることの意味や述べられていないことの全部を知る必要も無いとも思うが。
主要な登場人物が人造人間だというのは、フィリップKディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を思い浮かべた。
綾波レイの別の複製が変わりいく様は、その結末は想像できたが、ほのぼのとして見れた。しかし、作者はあれで良しとなったのだろうか。設定とは言え、都合良すぎる気もする。
アスカと呼ばれる登場人物も、ああいう人いるよなと想起しながら眺めていた。
主人公の碇シンジ、父親のゲンドウ、ミサトなどなど、主要な登場人物は最近の世間で言うところの発達障碍の側に立つ、そのディフォルメではないかと感じた。特に碇ゲンドウは。
現実にはなんらかの点で発達障碍でない人間などいないとは思うが。
エヴァンゲリオンの無い世界、
原子力発電所のない日本とか想起してしまった。
最後まで見終わって、
全体的に絵は良かった。
加持リョウジが人間ではなく、
それ以外の生物の存続を願っていたことには共感する。人間も残したくはあったんだろうが。