毎日、コロナウィルスの感染者数や死者数が報じられている。
毎日のことなのでだんだん慣れてきて
東京の感染者の数値が、
二桁だと少ないかなとか思ってしまう。
人間が死ぬとか病に苦しむとか身近や自分に関わってないと数値を眺めているだけ。
はじまりの戸惑いや感情の揺らめきは薄れ
習慣めいた無感覚な日常になっている。
この感覚、どっかで経験したな。
で思い出した。
裕仁が下血してから死ぬまでの数ヶ月だ。
あの時、毎日テレビやメディアは
裕仁の血圧やらの容態の数値を報じた。
はじめは今日か明日かと思いながら、
人為的にかも知れないが日々は過ぎた。
忘れた頃に裕仁の死は発表された。
さて、裕仁の場合は死で区切りがついた現象だった。今回のコロナ禍はいつどのように結末がつくのかわからない。
それは自身の周囲や、
もっと大きな枠組みの社会、世界にいたる影響を与えそうな気はする。
自身もいつその病に罹るか、そしてその結末が生還か死か不明。
いろんな変化を目の当たりにできるチャンスなので生きていたいが、
どうなることやらわからない。
特に今の日本の社会では。
自分の体力と免疫力次第としか思えない国だ。
もしかしたら日本だけ何も変わらないかも知れないな。