夜鳥通信

会社員、絵描き、占い師、模型師のブログ

10年前の昨日は

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調べ物があり本棚から引き出してタイトルを見て気付いた、今日は3月12日。

10年前の昨日、3月11日には

横浜の事務所に居た。

東京の本郷にある国立大学の合格速報を3月11日に発行するために、

前日の10日の合格発表から、合格発表会場での取材、合格者の撮影、インタビュー原稿作成、デザインレイアウト確認、入稿作業などで、大学と横浜のデザイン会社、得意先である教育関係の会社事務所を行ったり来たりしながら、完徹、得意先の校正が終わったら夜が明けて、11日の朝を迎えていた。

帰宅する暇も無く、そのまま眠らないで

11日夕方の別件の会議のための資料を作成。

昼過ぎに合格速報の刷り出し見ながら、資料を慌てて作ってたら、

ビルが揺れ始める。

20数階建てのビルの16階。

ロッカーや机が横にずれて流れるのを抑えていたが、止められないので、椅子にそのまま座って床の揺れに身を任せていた。

窓外のビルや鉄塔がこちらに寄ってくる。

窓から突っ込んで来るか、激突するかと思いながらもあまり恐怖は感じない。

一昨日、霞ヶ関の高層ビルの26階で打ち合わせしてる時も地震にあった。

突然、ギリギリという音がし始めビルが揺れた。

そのことを思い出していた。

揺れがおさまってから、階段で1階まで降りて振り返ったらビルの側面にヒビが入って壁が少しはがれ落ちてた。

しばらくしてビルに戻り、しょうがないから泊まることにした。

テレビが無いのでパソコンで現地の中継画像を見る。

津波の画像が繰り返し流れている。

その頃日本沈没を読んでいて、津波による被害の描写が思い出された。

夜になり原発の状況が報道されはじめる。

地震津波よりこちらが気になる。

二年前に背骨を折り、長期入院したせいか、天災など自然災害や予期せぬ事故で死ぬことには覚悟というか諦めは感じていた。ビルが揺れながら、ここで死ぬことになるかもなと妙に冷静に思ってもいた。しかし、原発放射能には恐怖を感じた。

チェルノブイリ原発事故を知り、放射能汚染による人体が蝕まれて死に至ることに対する忌避感があったからだろうか。チェルノブイリの事故から考えて福島から東京だと充分汚染範囲に入ると思え、逃げようがないと、居場所が無くなると思ったからだろうか?全電源喪失という事態がチェルノブイリ並のメルトダウンを招くと想像したからだろうか。

 

地震津波原発事故からの避難生活の影響で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。被災した方々にはお見舞い申し上げます。

早く安寧な生活が回復されますことを願います。

この国はまだ、原子力緊急事態宣言の真っ最中。そんな中、福島原発の事故発生調査も遂行せず、原発再稼動推進などと寝言をほざく原子力発電事業に群がる(原発現場従事者、作業者は除く)、政官財学法の全ての卑しき輩には天誅の下されんことを祈ります。