良かった。
阿部サダオという役者は、
その演技振りが今一つ肌に合わないので観るのを迷う。
敬愛する大学の先輩が執筆する
日刊サイゾーの映画評を読み、
やはり観たくなった。
ちょっと思い出した。
いつかは自分もどこかで孤独死するんだろうなと行く末に思いを馳せた。
老人ホームに入れるかなあ。
國村隼の演技は好きだ。
統一教会問題で宗教に対する話題が喧しき最近。死後の世界やら霊やらの存在を問われたら面倒だが、死者を悼む気持ちを持つ主人公と登場人物らには共感する。自分は無宗教だが。
牧本の職場に転属してきた局長は
「葬儀は遺族のためにある」と言う。
牧本は「私は違うと思います。亡くなった人のためにある」と応える。
彼はなぜそのように思えるのだろうか。
何らかの宗教的教えからではなく、
彼の心情、信念からと思うが。
彼は身寄りがない天蓋孤独(に見える)。
局長が、自費で葬儀を行う牧本に
「自分の身の上に重ねて行うのか?」と問う。
牧本の真意はどこにあったのだろう。
牧本は意志の通じない存在に関心があるのだろうか。死者や赤ん坊とか。
はじめは気乗りしなくても、参列してやめておけばよかったと思った葬儀はあまりない。あったとしても故人のせいではなく、参列者との関係だ。まあ、積極的に出たくない人には積極的に出ないが。
葬儀は必要なのか?
残った者には、何かを想うために、何かを断ち切るために必要な儀式なのか。
焼かれる前に顔見ておくかという人に必要な機会なのか。急に亡くなったらそういう機会は必要か。
早くに体調が悪いなど異変を知っていたら、
何はさておき会いに行くのが良いのでは。
いや、何もなくても、なんとなく会いたいなら会いに行ったがよいのでは。
牧本は生きていたらどうなっただろう。
自分の職場、仕事が無くなった後。
彼の性格から新しい職場や仕事は辛いだろう。
もしかしたらトウコと家族をつくり違う何かを見つけただろうか。
そう言えば最後にカメラを持っていた。
やはり
「横道世之介」が思い出された。