テレビに限らずコマーシャルな
メディアや作品は
コマーシャルなものであり、
その業界、組織、システムで収入を得るものは所属するところの
方針からは外れられない。
山本太郎がよく言ってることのまんま。
ドキュメンタリーというものも事実を材料にしたドキュメンタリーというジャンルのフィクションの一種であると思えた。
プロの役者が演ってなく、当事者がそのまんま素材にされてるってだけで。
まあ、ある意味、ぶっちゃけとかそれを言っちゃあおしまいよを使った映画に見えた。
さよならテレビという題名からくるメディア批判より、
情報は提供者により編集され、どうとでも加工可能なんだなということが印象深いものでした。
国会中継とか生中継のユーチューブとかが
はるかに見ていて面白いのはしょうがないのかもなあ。
山本太郎の該当記者会見も聴取者との即興のやりとり具合が面白いと思うし。
国会の安倍晋三の答弁も予告質問に対する官僚の台本付きではない、激昂して我を忘れた反応、口滑らしたすっとんきょうなのが面白いし。
現実、飲み屋で出会う知らない客とかを眺めてたり話聞いてたが面白かったりするし。
昔から海賊放送とかハッカーが好きなのは、
本質的には何も信じないというか、創作に対する拒否感があるのかもしれない。
いや、表層ではない中身がなんなのかを知りたい欲が。知ってどうするかはあんまり気にしてないが。
学生の頃見た「アメリカンウェイ」って映画をよく思い出すのはそういうことだろうか。
映画にしろ演劇にしろショーにしろストリップにしろ、目を覚まして見る夢みたいなもんであり。暇つぶしというか、退屈の紛らわしに過ぎないもんだよなとあらためて思った。
あ、これもそれを言っちゃあおしまいよだ。
映画館入ろうとしたら、
鈴木邦夫が出てくるのに出くわした。
夏に見た時とあまり変わらんように見えたが、間近で見ると歳とったなあと思えた。